【都知事選投票日に思う】

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昨晩、細川さんと小泉さんのラストランを目撃しようと新宿アルタ前へいった。
元首相二人のナマの訴えを聞いて感じたのは、細川さんの「死んでもいい」という決死の覚悟。
吹きすさぶ大雪の中、黒澤明監督「生きる」のブランコのシーンがふと思い浮かんだ。場末の某市役所に勤める男が、定年間近に自分の生きて来た役人人生を後悔し、命を賭してほんの小さな公園を作ろうと奮闘する、という物語だった。
あの志村喬演じる市役所職員の鬼気迫る顔が、雪の中、か細い声だがそれでも目の輝きだけは死んでいない、細川さんと重なった。
はっきりいって口下手だ。横に入る小泉さんの方がよっぽど演説はうまい。
しかし、「原発政策を支持した、自分は間違っていた。子供たちへ、孫たちへ、核のない世の中を残すため、人生を捧げたい」という彼の思いは、心の奥底から、存在全体から発せられているものだった。
聞いているうちに、自然と涙腺が決壊していた。
「生きる」の志村喬(僕は黒澤明自体はそこまで評価しないのだが、「生きる」は別格の傑作だと思っている。)は、世間の無関心に晒され、孤独に闘い続けた。自分の人生を悔い、残りの命を捧げる覚悟を決めたものだけが放つオーラ。細川さんにもそんなオーラがあった。
僕は、これだけ本気の細川氏を支えたい、と心から思った。
原発は、目先の景気・雇用の問題ではない、日本全体、人類全体の問題であると深く、深く悔いている人の覚悟がそこにあった。
何をエモーショナルになっているのだ、他の政策だってある訳だし、脱原発だけで選挙を判断できる訳ないだろう、という意見もあるだろう。
細川さんを支持する論理背景はここに書いた。8000人以上にツイート、シェアしてもらい、ポリタスで最も共有された記事になった。
「今は平時でなく、戦時になりつつある〜圧倒的な危機感という視点〜」
http://politas.jp/articles/83
とりあえずの安心・安全を求める気持ちを、もう一度見直そう〜(続)圧倒的な危機感について〜
http://politas.jp/articles/94
このようなロジックと、決死の覚悟へのエモーショナルな共感。
都知事選投票の今日、この両方のレベルで細川候補を断固支持したい、と思う。
舩橋淳
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Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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