崩れ落ちたビルの残像とともにこの20年を思う

今日911、あの日から20年。

この20年間の戦争や対立は一体何だったのか、と考えている人は世界中にいるだろう。大げさに言えば、あの日から、欧米とイスラム諸国の関係(それに追従する日本など同盟国を含む)がドラスティックに変わった。東西のパラダイムシフトが起きてしまったメルクマールとして、あのツインタワーの映像が何度も再生されてきたのを、僕たちは見てきた。

 

アメリカ本土では、様々なレベルでの反省・回顧が行われている。

 

どれだけの経済的・人的コストがかかったのかを調べあげたリサーチもある。
米ブラウン大学の調査プロジェクト“Costs of War”の調べでは、「対テロ戦争」に米国が投じた費用は8兆ドル(880兆円)、死者は90万人にのぼる。

これはアメリカによる911後の「対テロ戦争すべて」であり、アフガニスタン、イラク、シリア、ISISなど全てを含んでいる。アフガニスタンだけに絞ると、死者数はアメリカ軍兵士が約2300人、アフガニスタンの民間人は約46000人。同時多発テロで犠牲になったアメリカ本土の民間人約3000人をアメリカ側に加えても、5300人と46000人の違いだ。

 

何のための戦争だったのか。 正義はどちらにあるのか。

 

この問いに正面から向き合う時がきた、と多くの人が認識している。

 

20年前、僕はNew Yorkで911のテロ攻撃を体感した。

マンハッタンのイーストビレッジに住んでおり、TVの制作会社でADをしていた。

Times Square近くの職場に出勤しようと、地下鉄の駅Astor Placeにいつものようにむかっていると、朝のラッシュアワーとは全く違う雰囲気の大量の人がBroadway を歩いてくる。通りかかりの人に「どうした?」と聞くと、「地下鉄は全部止まっている」「事故か?」「WTCに飛行機がつっこんだようだ」と教えてくれた。状況がつかめず、ただ行くところもないので、歩いてオフィスに行き、そこで二機目の激突を知った。その後、DVカメラを引っ掴んでダウンタウンに向かった。ものすごい混乱でグランドゼロまではたどり着けなかったが、一面灰色の灰塵に覆われ、パニックの状況をとにかく押さえようと撮影した。自らの危険を顧みなかったのは今では反省しているが、その後NY警察によりバリケードが敷かれ、僕は押し出されてしまった。

それから数日、英語と日本語が両方できる人間は邦人の安否確認のためNHKニューヨーク総局にきて欲しいというリクエストが制作会社に来たので、僕はそれに応じた。NHKのニュース制作オフィスの片隅で、航空各社の現状況と邦人の安否を突き止めるリサーチをやった。あまりの衝撃すぎてみなアドレナリンが出っぱなし。徹夜で電話やネットでNHK が主導する全体把握とニュースのまとめに協力し、力尽きたら床に寝転がって仮眠をとり、起きてまたリサーチに協力するという日が数日続いた。

 

ストリートでは、あちこちで犠牲者を弔うイベントが開かれ、どこからともなく人が集まり、キャンドルが焚かれ、「God Bless America 」の歌声が響いた。

 

そんな中George W Bush が、グランドゼロを訪れ

「People who knocked the buildings down will hear all of us soon!」

(ビルを崩壊させた奴らは、ほどなく我々の報復を思い知るだろう!)

といい、それは「USA!  USA!  USA!  USA!」という群衆の連呼に支えられた。

 

ナショナリズムに沸くアメリカ国内にゾッと戦慄を覚えた僕は、ニューヨークの友人たちと語り合った。しかし、リベラルで理知的だと思っていた親友までが「やられた以上、相手を叩かなければいけない。アメリカ本土を攻撃してタダで済むなんて思わせたらダメだ。」と、報復攻撃を支持し、ショックを受けた。

 

アメリカ全体がある種の国粋主義に触れてゆき、アフガニスタンへの報復攻撃が始まる。海の向こう、はるか遠くの国に対し、爆撃することに、その空の下に多くのアフガニスタン市民がいることに想像を巡らすムードはなかった。まず、「自分たちがやられたことに対するリアクション」が正当化され、それ以後のことは問われる、考えられる空気ではなかった。太平洋戦争で、真珠湾攻撃に踏み切った時の日本の状況もこうだったのでは、と想像もした。そして、市民は一様ではなく、反対派もちゃんといるが、それを口にしても無視されるほど世論の渦が大きく盛り上がる時がある。その恐ろしさ

を体感した・・・坂本龍一さんらが「非戦」を出版し、暴力による報復に絶対反対の意思を示したのもこのころだった。僕は、第2作「BIG RIVER 」を、反テロの差別渦巻くアメリカを舞台としたロードムービーとして考えた。

 

その後、ブッシュJr. は2003年、あの悪名高い/しかしまだ審判を受けずに済んでいる<大量破壊兵器>保持を理由に、イラク戦争までも始める。NYで50万人の反戦デモが起きた。僕も無論加わったが、このころは「対テロ戦争」という大義で他国を攻撃するという「雑さ」と、とてつもなく甚大な人的・経済的犠牲に多くのアメリカ人が気づき始めていた。しかし、「やられる前にやる」先制攻撃論は依然、国内の多くの支持を得た。

 

アフガニスタンでの状況は、この20年間悪化の一途だったということは、2019年の暮れにワシントンポストが暴露したThe Afghanistan Papers で明らかになった。

同紙が情報公開請求でアメリカ政府と対立し、2年がかりで裁判に勝利し公開させたその内容は、ショッキングなほど世間でのイメージと乖離しており、アメリカ連邦政府がブッシュ、オバマ、トランプ政権の3代にわたり、いかに戦果の虚栄を作り上げてきたかが暴露された。(日本のメディアはコロナ禍で無視したが、とてつもない大スクープである。)

 

ブッシュとオバマ政権2代に渡り、アフガニスタン作戦を統括していたDoug Lute 陸軍元帥は「我々は自分がなにをやっているか全くわかっていない。アフガニスタンに関する基礎的な知識もなにもわかっていない。本当に我々はあの国に駐留すべきなのか。なんの意味があるのか。何を達成すれば、勝利なのかわからない。」と繰り返しのべていた。

 

またこのレポートでは、大量に注がれたアメリカからの資金が、アフガニスタン政府の腐敗を招いたとしている。病院や学校などが地方都市に建設計画が進められたものの、実際に完成したものは少なかった(ある東部の地区で14件建設予算がおりたなか、完成が確認されたのは4件とか)。地元の有力者や仲介業者、工事業者に中抜きされた末に放置された。アメリカ軍からの監視・管理が皆無だったそうだ。

 

つまり、アメリカ政府は、この戦争をどう終わらせて良いか分からぬまま、20年間いたずらに引きずり続け、嘘をつき続けてきたのだ。(その中にオバマも含まれることに、僕は少なからずショックを受けている)

 

なので、バイデンによる撤退がこのように無様で、途方もなく不毛な形に終わってしまうのは、避けられないことだった。バイデンがやらなかったら、次の大統領がその貧乏くじを背負わなければならなかった。「勝利の定義すらできない戦争」は、誰かが終わらせなければいけないという意味で、バイデンの決断は間違っていない。貧乏くじだから、今は批判の集中砲火にさらされるが・・・。

 

ただ、カブール空港でのISIS による爆弾テロ(アメリカ兵13名他が死亡)に対する報復として、アメリカ軍が爆撃を行い、また民間人の犠牲者が出た件など、「20年経ってもまだ暴力の連鎖の不毛さを思い知っていない」と思わせる事例が続いている。バイデンも、コスパに合わないから撤退するのであって、この「不毛さ」に関する深慮はなされていないと感じられる。アメリカがそれを真の意味で理解する日は来るのだろうか。

 

しかし、ブッシュJr.がいまバイデンの撤退作戦を言いたい放題批判するのは許せない。 「お前が言うな」とはこのこと。対テロ戦争は、アフガニスタンという国をざっくり爆撃したら黙るだろうという「きわめて雑な、想像力に欠いた暴力の連鎖」を起こしたのは、ブッシュの短絡的なリアクションから始まったことなのだ。

 

2001年僕が心底恐怖したナショナリズム高揚のなか、アフガン開戦を避けるべきだった、避けることはできたはずと僕は今でも思っている。

 

その時、西側諸国だけでなく、世界中からアメリカに対する連帯の表明があった。日本もふくめ、多くの犠牲者をだしたアメリカ東海岸に対し、心を痛めた人々が助けの手を差し伸べようとした。あの国際的な連帯感をもとにして、テロリストのネットワークを辿り追求し、犯人たちを捉えるという選択肢もあったはずだ。2014年オバマ政権でパキスタン国境近くでオサマ・ビン・ラディンの殺害作戦に至るまで、もっともっと水面下で動けたはずなのだ。しかし、ブッシュは、対外的な見栄もあるだろう、アメリカの強大さ・マッチョさを見せつける戦争を選んだ。

 

いまこの選択こそ正しかったのか、と問われるべきなのだ。

(つづく)

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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