故・佐藤真監督「映画監督って何だ! メイキングビデオ」


佐藤さんが亡くなる前、心の病を来す原因となった(と本人がいっていた)このメイキングビデオの編集の問題。佐藤さんが生前、ディレクターズカットを託した吉松安弘さんにオリジナルのDVテープをお借りし、自宅で拝見。テープに佐藤さんの直筆で「06.9.10バージョン いくつかの間違いはありますが、それから崩されて最後はただのメーキングでした」とあった。佐藤さんの悔恨の思いを見て取れるが、故人を偲ぶ前に、まずは冷静にビデオを見た。
感想は、これをなぜ制作者である映画監督協会は問題視し、佐藤さんが「人格を否定された」と言うまでに強引に編集の改変を要求したのか、不思議でならない、と感じた。
「映画監督に著作権は属すべきだ、と主張する映画」自体の著作権が、実は、その監督・伊藤俊也ではなく、制作者・映画監督協会にある、と主張する理事たちが滑稽に見えることに、当の理事たちがNOを出したのだろうか。メイキングビデオ自体、複数の人間の思惑がぶつかり合い、予想不可能な方向へと流れ出す映画制作の現場の記録としてスリリングであり、最初、一つの理念「著作権は映画監督にあり」で集まった映画監督たち・制作メンバーが、完成、試写の段階となったとき、立場の相違が思惑の差異として表面化し、待ったなしのぶつかり合いを演じるのは、刺激的なドキュメントだ。最終的に、現実的な合意点(=妥協点。具体的には、このビデオがまだ世に発表されていないので割愛するが、現在、このバージョンを公表すべく吉松さんや私などが活動している)を、制作者と監督が苦慮の末見いだしたハッピーエンドとなっているではないか?と思うのだが。制作者サイドが一時的に、本音と建前の背反状態を冷徹なキャメラアイに写し取られてしまった、その体裁に拘っているのだとすれば、非常に短絡的であるというべきだろう。
被写体への批判的視座を冷静に貫き、ユーモアに富んだ編集で構成された佐藤真のすばらしい遺作である。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

3 Comments

  1. さとう あつし
    2016年4月7日

    8年近くも前のブログ記事へのリプライ失礼致します。このビデオについて預かり主である吉松さんとお話しをしたのですが、今このビデオが見当たらないとの事です。舩橋監督に心当たりはありますでしょうか?もしくは二次でも録画物の保存はありますか?3月の上映会に参加し、最近出版された単行本を読み終えたところなのですが林海象さんの寄稿で今更愕然としています。先の本のフィルモグラフィは「エドワード・サイード OUT OF PLACE」で終わり、但し書きで本人が生前に作成した履歴書に基づいていますとありますが、「06.9.10バージョン」には佐藤真監督の刻印があると思っています。もし永遠に失われたのだとしたらやりきれません。。。

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    1. Atsushi Funahashi
      2016年4月13日

      ご連絡ありがとうございます!
      林海象さんの寄稿は、私も拝読しました。
      いろんな伝手で探してみます。少々お待ちください。
      舩橋淳

      返信
  2. さとう あつし
    2016年5月12日

    ありがとうございます!引き続きこの件について業界との繋がりが一切ないなりに動いております。ただの佐藤真監督ファンのフリーターが不躾で申し訳ありませんが、配慮を伴う内容なので表向きにお伝えしづらく、差し支えなければ僕のメールアドレスに舩橋監督ご本人にのみ現在までの進捗をお伝えできるご連絡先をお教え願えませんでしょうか?

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