1984, 113min
ピアラは傑作”Van Gogh”など2作品を除いてまだ未見も多いが、この一見単純な刑事サスペンスと思いきや刑事自身のアイデンティティの揺れにまで踏み込んでしまう深い秀作には驚いた。前半の小エピソードが乱立する辺りは10分無駄に長いと思ったが、その粗雑に重なり合うエピソードが一挙に収束してゆく後半のことを考えると、実はそのカオスな冗長さは必要だったのかも知れないと思ってしまった。
薬の売人のチュニジア人の女ノリアを乱暴に尋問していたドパルデューが、後半にかけてだんだんと彼女に惹かれてゆくという逆転が起こる。その心の揺れの説話への導入が素晴らしく上手いのである。ストレートに彼がノリアに惹かれつい誘ってしまう、のではない。ルビッチが「極楽特急」で細部のトリックを血反吐を吐くほど考え抜いた!と絶賛したトリュフォーに習えば、職業上対立する立場にある男と女が禁止の力学を歪曲させ、距離を縮めるその時間経過にピアラは細心の注意を払っている。中盤、ドパルデュー演じる刑事は車中で同僚の女刑事の太ももを触り、キスをしていいかと迫り、拒否される。今まで刑事ものとして視線を集中させていた我々の意識が、この巨体刑事の個の存在を意識し始めるのは、暗い車内でじっと佇む彼の横顔を目撃したこのときである。(そして、次のシーンで同様にノリアに迫り出すのである。)同時に、ざわついていた刑務所内の騒音や盛り場の音声もなくなり、人物の声だけがフォーカスされた静寂の音声空間に絞り込まれてゆくのも、素晴らしい演出だ。
明け方キャメラを澱んだ瞳でじっと見つめるドパルデューには痺れた。