「東京暮色」(1957年、小津安二郎)を再見。どんてんを返すタイミングの的確さと、常にむすっとした表情で画面に収まり続ける有馬稲子への照明の美しさに感動。何度見ても山田五十鈴の麻雀荘(その名も「壽荘」)マダムの頼りなさは素晴らしく、無造作にカールされた髪、所帯崩れした着物の乱れぶりなどがいい。雑居ビルの2階への階段を上った処にあるこの雀荘が、初見の時も、何度見直しても頭にこびりついて離れないのは、この山田五十鈴の存在と、雀牌を打ちながら無関心にうわさ話で毒づく男たちの同時共存が異様だからではないか?途方もなく暗い、とリリース当時の評判は悪かったと聞くが、自分は傑作に間違いないと思う。ラスト近く、山田五十鈴が上野駅から室蘭へ発つとき、原節子が見送りに来るのではないか、と期待を高めるショットの精度。こちらも手に汗握りながら、今か今かと胸を掻き立てられる。ラーメン屋の親父(藤原鎌足)もいいし、雀荘の親父、山田の連れ合い(中村伸郎)もいいが、有馬稲子が平手打ちを食らわす青年には吹き出さずにおれない。厚田雄春のキャメラが最も湛えられるべきは、杉村家(笠知衆、原節子、有馬稲子)の門前の坂道のショット。朝、夕方、夜と異なる時間に、異なる家族の構成員が歩いてゆく姿を美しく描き出している。毎度坂をゆっくりと登り帰宅する人物を目にしつつ、ああいいなぁ、と思っていると、ラストショット、娘がいなくなり一人になった笠知衆が出勤するためスーツに着替え、冬の柔らかな朝日に照らし出された坂を下って行く時、視覚的に映画が一挙に収束し、輝きを放ち、我々に迫ってくる。ショットとはこのように積み重ねるものというお手本。
「トウキョウソナタ」で黒沢さんは、この坂道ショットを意識したのではなかろうか。そう考えると、有馬稲子が電車に跳ねられ死ぬ間際に「もう一度出直したい」と呻く言葉は、「トウキョウ〜」の香川照之のそれと重なってくる。
拙作「谷中暮色」の主題でもある谷中五重塔・炎上。これが起きたのが1957年(昭和32年)「東京暮色」の撮られた年であった。