男と女が出逢い瞬間を、確実に映画の画面に定着させることは難しい。さほどさりげない出逢いであろうとも、火花飛び散る恋の瞬間であろうとも、作り手に大きなプレッシャーを与えるのが、出逢いの演出である。
ここが現代日本だとは到底信じえない大平原にぽつねんと立つ廃墟。
その中に一人うずくまり、外界との交信を一切断ち切っているかに見える女がいる。ゴーゴーと風が吹きすさぶ音を遠くに聞きながら、彼女は世界との唯一の接点・・・TOCHKAの銃座の窓から見える荒野の地平線を窺っている。茫漠とした空と大地の向こうには、やはり町があるのだろう。町の灯を再び自分は見たいのだろうか、いや、しばらくはここに居続けようか、そんな逡巡をしたのかしないのか、彼女はポケットから一枚の写真を取り出し、そのまっすぐな地平線に重ねる。彼女の大事なひとは、この写真を残して逝ってしまった(と後ほど明らかされる)ーーこれが彼の見つめた最後のイメージ。そう思ったのか、遺品であるマミヤのツインレンズリフレックスを覗き込みつつ、女は半透明のファインダー上に映る単調な光景を、息を殺してじっと見つめるのだった。
と、そこへ一つの影がゆらゆらと右へ左へ揺れながら、こちらへ向かってくる。ファジーなファインダー上の揺れる物体。それが徐々に像を結び、実は人体であることが分かったとき、女は大事なひとの死と、その人体=男性とをまさしくイメージで重ね合わせていた。
言葉ではなくイメージにより二人の異なるキャラを重ね合わせ定義づけること。これにより松村浩行は男女の出逢いという最も難しいハードルを難なくクリアし、二人の邂逅が決定的なものとなることを我々に納得せしめた。すごい演出だ。