過去をめざす視線がとらえがたい現在の先端でぴたりと焦点をむすぶ演出は秀逸である。東京の街がなお魅力的な被写体たりうることを実証してみせた貴重な作品と断言したい。
蓮實重彦(映画評論家)
炎上する五重塔の映像以上に、「不在」であるはずの塔が、
この町に住む人たちの心にいまも確固として存在していることに心を打たれた。
この映画が描くのは塔へのノスタルジーではなく、その「不在」の大きさである。
仲俣 暁生 (文芸批評家)
墓石を洗う老女の手、車椅子で歌う男の指に挟まれた煙草、自転車を駆る女・・・
舩橋淳は、それらのうちに降り積った記憶の襞を経巡りつつ、やがて五重塔を包む炎を、いまここに燃えたたせる。
上野 昂志 (評論家)
ドキュメンタリーとドラマと劇中劇が見事に溶け込んだ美しい映画。とくに普通の住民である演者加藤勝丕、小川美代子の人生の重さが胸に刻まれる。あとを継ぐ若い世代は邪険にされても,振り切られても彼らを追いかけなくてはならない。
未来とはいつも、歩いて来た道の終わりからはじまるのだから。
森 まゆみ (作家、雑誌「谷根千」編集人)
過去と現在、ドキュメントとフィクション、この世とあの世。谷の町は映画に境界を幾重にも用意する。
男の子・久喜(ひさき)の隙のない目つきが静かな緊張感を孕んでいる。その目つきが境界に支柱を通したのち炎で貫くのだ。
鈴木 卓爾 (俳優・映画監督『私は猫ストーカー』)