関西ドサ周り3日目

昨晩は中崎町にあるシネヌーヴォ支配人景山さん宅でごちそうに。前東京国際映画祭アジア部門プログラマーの暉峻創三さんも合流し、自然と話題は小川紳助、佐藤真のドキュメンタリー論へ。しかし、アルコールが入っていたので内容はまったく記憶にない。その後、時間の経過も簡単に忘却され、景山邸に宿泊。すばらしい奥さんがへんりっく(偏陸)に教わったという「義理の親子カレー」をごちそうになった。
その晩山崎さんに教わった千里の再開発のドキュメンタリー「空っ風」、制作集団NDU(日本ドキュメンタリスト・ユニオン)が気になり、午後の講演前に自分が生まれ育った千里ニュータウンの団地へ17年ぶりに再訪してみる。時間は1時間。最寄り駅だった阪急千里線・山田駅(60年代から千里の丘に公団が切り開いた広大なニュータウン)には巨大な駅ビル、デパートが出来、ターミナル自体がまったく変わり果てていた。タクシーで大急ぎでかつての我が家に行ってみると(写真下)その姿はかつてのまま。自転車置き場も、よくサッカーをした広場も、通称うんち公園も何も変わらないのだが、すべてが小さく、縮小70%ぐらいに見えた。幼少期の記憶しかないから全てが自分にとっては巨大で輝かしかったのだろう。10件はあった幼なじみの家はなんと全員まだそこに住んでいることがエレベーターホールの郵便受けで確認できたが、時間はなかったし、また戸惑いもあったので訪れることなく離れることにした。自分の実家だけが移転した後、さらに興隆していまや若いカップルだらけの再開発の中心地になったニュータウンを見ると、いろいろな思いがこみ上げてきた。


午後は関西大学で公演。NY時代の話から、Cinema with Justice というペドロ・コスタとの対談の核心テーマへ。
キャメラで日常の光を切り取る上での倫理性と、フィクションとの臨界点について。まだ自分の映像話法など発見できていないが、その模索の過程について語るのもなかなかもどかしいと感じる。
晩は京都に移動し、林海象監督の経営する「バー探偵」で飲み明かす。京都造形芸術大学映画学科の講師陣や松竹撮影所の某御大プロデューサーも参加し、首都とは全く異なる、映画を撮る環境がまたここに一つあることを発見。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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