Claude Chabrol, 2007, 115 min, France
TV作品を入れて100本を越す膨大なフィルモグラフィ全ては見ていない。とはいえ各年代でぽつぽつとChabrol を見てきたのだけど、クロースアップの大胆な禍々しさは、晩年になって顕著になってきたように思える。勿論、「いとこ同志」にもあったし、「肉屋」のクライマックスの車のシーンはどうなのか、という問いも当然あるだろうけど、70年代以前は、まだ画面の規範を作り上げようという意志が働いていたように思う。しかし、今作は、もっと動物的に人物にキャメラが寄り添い、じりじりと躙り寄るようなクローズアップを節操なしに撮っているかのような印象を持つ。
とにかく人物造形がおもしろい。主人公である人気作家(フランソワ・ベルレアン)につく、女性編集者はいったいなんなのか? 妻と3人水着でプールに寝そべり、あやしい関係であるのは、間違いないだろうが、追求されない。途中、ヒロインであり、ベルレアンの愛人となるリュディヴィーヌ・サニエは、おじさんクラブ的な場所に連れてゆかれるが、奧で乱交パーティーが開かれているが、それも映像化は避けられ、セリフで暗示されるのみだ。バカにはわかりません、わからないでいいですよ、といっているかのように。
ふんだんに散りばめられた省略のセンスを堪能する、老境の映画といえよう。
イーストウッドの近作もそうだが、老境に入り、人間観察が鋭敏になった作家がその表現手段としてキャメラを駆使しているのが、世界中で評価されている。Hereafter の含みを持たせた展開もそうだった。ラスト、Matt Damon とCécile de Franceは手を握りあい、果たしてどこまでわかり合い、「見えて」しまっているのか。もしくは、死者の言葉をそのまま伝えることで生者を苦しめてしまったことに心を痛めてきたMatt Damonは、兄を亡くした少年に嘘をついたのではないか、という点が、見る者の想像力に豊かに委ねられている。
これに対し、若い作家はどうやって追いつけばよいのだろう? 問題だ。