シャブロルは多くの傑作も、少なからずの駄作も生んでいる。さらに駄作か傑作か判断着かぬ作品も涼しい顔でひょいと作ってしまっている。今日久しぶりに再見した「女鹿」の奇妙さもそのグレーゾーンにあると思う。
ゲイの奇人カップルが跳梁跋扈する南仏の別荘はいったいなんだろうか? あんなカップルは、実はあそこまで強調されなければ南仏にいてもおかしくないのだが、そこにJean-Louis Trintignant、Stéphane Audran、Jacqueline Sassardの三角関係を投入し、誰もの納得できうる人間関係の枠組みを軽々と飛び越えてみせる不思議な空間(あのモザンビークとかケニアの調度品、突如空からふって湧いたかのような楽器類などの美術演出も含め)を生み出すあたりの想定外の奔放さは、処女作から散見され、それはパゾリーニとも違うし、ゴダールとも異なる。ルノワールとどこか通底しているようかもしれぬが、やはりあの人を喰ったキャメラワークと編集が異質ではないか、とも思う。まだレトロスペクティブが始まったばかりであり、未見の作品も多々ある中で断言はできぬが、画面外の説話に対するユーモアセンスと、人を喰った奔放さについて、もう少し考えていきたい。