エッセイ:Selective Perception 選択的知覚について

先日、映画関係の仲間が、
「震災関係の映画、原発事故関連の映画はなかなかお客が劇場に入らない。だって原発事故も震災も関係のない日常に生きている人はもう見たくないんだから」
とぼやいていた。
おおざっぱな言い方で、関係者は気を悪くされるかもしれないが、そのような傾向ははっきりと数字で出ている。
その背後には、Selective Perception 選択的知覚があるんじゃないかと僕は思った。認知心理学の用語らしいが、意識下で怖れているもの、不安なもの、嫌なものについて、それに関する情報をシャットアウトしてしまう認知の在り方だそう。
原発事故から物理的に遠く離れている人々は、この選択的知覚を行い、そんなことは知らずに毎日を過ごしたい(しかし東京は福島の電気を使って来たのに)、福島県内や線量の高い関東の地域では、毎日被ばくのことまで考えたくないから、その情報は遠ざける。(もちろん全員ではないです)
また大きく成長発展する中国や韓国を受け入れようとせず嫌中嫌韓に走るのも、
日米同盟があるからアメリカは日本を守ってくれるはずだ、と信じて、従米の忖度ばかり(アメリカにとってはどうでもよい)精を出している与党の政治家も、選択的知覚と言える。
もっと相手を知るために、向こうの国に行って話せばいいのに、こちらの内輪だけ情報で共同幻想を創り上げる。そう、情報といえば、日本のマスコミ自体が選択的知覚に陥っているのかもしれない。
このようにいろんなレベルで選択的知覚が起きているのが、今の日本のような気がする。
それは総体として、とても物騒な現象だ。
人々を同意見の仲間内だけにグループ化させ、断絶を生み、人と人の距離を遠ざけてしまう。
まだまだ復興できていない地域、原発避難を続ける人々がいる時期だからこそ、風通しventilation を良くしたいものだ。
選択的知覚: 参考まで
http://japanese.joins.com/article/601/93601.html?sectcode=120&servcode=100

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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