いやぁ〜がつんとやられた。
映画を撮り続けているといつしか当たり前に思っていた制度や決まり事を、すっと消し去り、無意識の梯子をはずしてみることを、ストレートに出来てしまう作家の自由さに感動した。
そうそう、そうだよな。映画ってこれほど自由でいいのだ、と思える作品は、作り手にとっても刺激的だった。ジャ・ジャンクーが去年のカンヌで絶賛していたのも頷ける。
1:1のインスタグラム的フレームとシネスコを、文字通りのびのびと伸縮自在にあやつり、単にフィクションに過ぎないフレームという世界の窓を、作品に内在化した映像言語として昇華しているあたりが美しい。
映画の冒頭、いきなり目前で交通事故が起きて主人公の「母」が登場したり、と映画のフィクション性を揶揄しながら盛り込みつつ、役者たちとの協業作業があまりにも濃密なため、やはりフィクションの世界にいつしか没頭してしまうという往復運動は、キャサヴェテス的な至福感をもたらす。
そして、一瞬一瞬の役者の生きる躍動をそのままフィルムに刻み付ける握力の強さが素晴らしい。どこを切っても作家の鮮血が吹き出してきそうな、生々しさに溢れていて、何か既存の構図にけっして落ち着くことなく、走り続けるという意志の発露に感動した。