あの日を忘れないのであればできること

3月11日水曜日
東日本大震災・福島原発事故から15年。

あの日を忘れない、未来へ伝え続ける、などの言葉が飛び交う日であるが、「あの日の教訓」を本当に生かすのであれば、答えははっきりしている。

原発をやめることだ。

日本は、ドイツのように、エネルギー政策の大転換に踏み切ることができなかった。
それどころか、再エネ制度を始めても、買取制限を課すなど成長よりも抑圧する政策ばかりを取ってきた。

どんなに美辞麗句で飾ろうが、これでは本質的には何も学んでいないのに等しい。

しかし、できることはある。

原発事故でどれだけの実害が生じ、どれだけの犠牲を強いられたのかを言語化し、数値化することだ。その被害の満額補償を、電力会社と原発立地市町村の契約に盛り込むために。

高浜、玄海、川内、伊方、柏崎など、再稼働している原発と地域住民との安全協定(契約)を、福島のリアルな史実を盛り込んだものにアップデートする。

そうすれば、もちろん、電力会社は原発を動かすことの採算が合わなくなる。

残念ながら、この国の政治も企業も、思想・信条では動かない。
ではなにで動くのか。本当に気分が悪くなるほどシンプルな答え= カネである。

安全協定にアップデートすべきこと。具体的には、

1)帰還困難区域になったら、避難が解除されるまで(半永久的?)生活補償をする。
 土地の買い上げは、あくまで個人の意思が尊重され、帰れないから売らねばならない、というレトリックは認めない。(福島では、いまもなお7市町村に居住が制限される「帰還困難区域」が残る。面積は計約309平方キロメートルで、東京23区の半分ほど)

2)避難が続く限り、生活補償・医療費補償/減免を継続される。
(福島では今も県内外に約23000人の避難者がいる。支援補償は段階的に縮小されており、例えば医療費減免は2027年度で終了する。たとえ避難が続こうとも。賠償額をめぐり、東電と住民の間で集団訴訟や和解が延々と続いている)

3)ADRの和解拒否の禁止:避難者に対する賠償増額を定めるADR(原子力損害賠償紛争解決センター)の和解案を拒否することは、禁止すべきである。
(福島では、東京電力が和解拒否する事例が相次いだ)

4)自主避難者の賠償打ち切りをしない。
(福島では6年で住宅支援など賠償・支援を打ち切った)

5)汚染者負担の徹底と財源の混合の禁止:

• 国から東電への請求: 法律(除染特措法、汚染者負担の原則を明記)に基づき、東電が負担すべき費用として国がこれまで400億円以上を請求した経緯があるが、東電は支払いに難色を示し、全額は支払われていない。
• 現状=財源の混合: 賠償、廃炉、除染の費用は23.4兆円と見積もられており(※政府)、東電の負担能力を超えているとして、国が原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通じて支援する形=国費負担への転換が進んでいる。

  →この財源の混合を禁止し、あくまでも汚染者負担=電力会社の負担とし、国費負担は固く禁ずるべきである。

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以上、この15年で東電と国・福島県の間でずるずるとなし崩し的に避難者いじめ、国費出動がなされてきた事実を直視し、<もし再び原発事故が起きたとき>の補償ルールを言語化・契約化するべきだろう。

福島の教訓を生かすとすれば、これであると思う。

このベクトルを追求してゆけば、原子力は採算が合わない、となる。 

もっと思想・信条から舵を切ってほしいという思いはずっと持ち続けているが、

この国の現状を鑑みたとき、それが脱原発への現実的な道だろう。

#原発
#311

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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