福島県知事選挙雑感 10.27.2014

IDOGAWA.jpg

昨日投開票された福島県知事選挙は、大方の予想通り内堀雅雄氏の圧勝だった。
熊坂氏、井戸川氏の奮闘も虚しく大差が付けられたのは、福島県民が両氏の政策と内堀氏の政策を精査して内堀氏を選んだというよりも、最初から内堀氏しかいないと踏んでいた層が圧倒的に多かったということを示している。
選挙期間中、私も内堀、熊坂、井戸川、三氏の選挙戦の撮影を行った。福島、郡山などの人口集中地帯の都市部での街頭演説から、山間部の町や村での遊説まで。そこで見たのは、自公民、主要政党が相乗りで支持した内堀氏の選挙体制の盤石さだった。人数も数十人体制で、自民党の有力議員などの地元などすでに固まった派閥の元に落下傘的に降り立ち、その自民議員が内堀氏の手を取り、その地域一体で内堀氏を押すぞ!と一体感を演出する。例えば、郡山の自民有力議員・柳沼純子氏の事務所前に地元の人々数百人を集め、まず柳沼氏の演説の後、内堀氏が紹介され、登場、参加者全員に丁寧かつスピーディーに握手をして廻る姿には圧倒された。両脇に、握手の誘導係、少し離れてタイムキーパー、警備員、地元有力者に別個で挨拶する幹部など、スタッフワークで一挙に全員の意志統一を図る。所要時間約15分。最後は万歳三唱で送り出す。旧態依然だが、圧倒的な集客力、ブレインウォッシュ力。選挙隊が立ち去った後も、私は残って地元のある女性(60代)に「なぜ内堀さんを支持しようとおもったんですか」と尋ねてみた。「わかんね。けど、他に誰もいないでしょ。ここの皆があの人っていうからね」とその女性は言った。他に数人その場にいた人々に話を聞いたが、やはり内堀氏を積極的に押すというよりは、自民支持層の地元が押す人だから、という理由が大半だった。「他の候補者はいかがですか」と尋ねると、ある男性は「どこの誰かわかんない。みな小粒だ」と相手にしていないようだった。さらに、この近辺のJAも内堀さんを全体で押すことを決めたということだった。福島県産の食物を「食べて応援!」という内堀氏は、県中の農協関連から支持を受けていた。このようないわゆる組織票が、今回の圧勝劇を生み出したといっても過言ではない。
 熊坂氏は、反原発の諸氏から大きく擁護され、医師であり、福島県出身であり、かつ市長を三期続けた実績もあり、「人ウケ」は安定していた。町場の街宣でも、内堀氏にまさるとも劣らない大人数でビラをまき、力を入れていたのは分かったが、内堀氏のような落下傘爆撃型遊説とは、効率が違った。実際、殆ど人が集まらないところで演説している箇所もあった。
 井戸川氏は、さらに規模が小さかった。前双葉町長であり、美味しんぼ問題などで一応顔は知れ渡っていたのだが、選対は全てボランティア。政党の支持も受けておらず、自民の地盤で超安定の内堀氏はもとより、共産・革新のバックアップを受けた熊坂氏ともマンパワーで大きく水をあけられていた。県中を廻ると、選挙公報板に必ず内堀、熊坂両氏のポスターは張られていたのに対し、井戸川氏のポスターが見えない箇所が目立った。政策の議論・選択を行う以前に、選挙戦の声が届いていないところが圧倒的に多いのが現状だった。
 私は、ここに日本の戦後展開されてきた、自民党主導の選挙体制の壁があると思う。内堀氏約49万票、熊坂氏約13万票、井戸川氏約3万票という圧倒的な開きは、其々の選挙体制で決してしまっている。つまり、公示日前の体制作りでほぼ決まってしまうのである。主権を持つ国民が主体的に投票するというよりも、システムによって主体が奪われ、無盲目に他の皆と同じ人に投票をするように誘導されている人口がとてつもなく多いのである。これは組織票、とひとくくりにしてよい問題ではない。日本人の個人の主体性がかぎりなく希薄になっているのである。
 政策について話をすれば、三氏が福島県内の原発10基全廃炉(県内脱原発)、再生可能エネルギー拠点を作る、という点が共通していたので、その時点で原発問題は争点でなくなってしまった。被ばく対策に関しては、子どもを疎開・保養させるなど、井戸川氏が具体策を出していたが、県内で撮影をしながら感じたのは、被ばく問題を喫緊の問題に感じていない人の多さだった。「もちろん被ばくはしたくないけど、今の線量のままなら、被爆者手帳とか作ってちゃんと検査だけやってくれれば。」という旨の意見がよく聞かれた。つまり、事故から3年半以上も暮らし続けている県民にとって、今の場所に住み続けることをとっくの昔に選んでいるわけであり、これからの暮らしがどうなるかを示して欲しい、という方が大きいのだった。熊坂氏も「国に直言、県政を刷新!」と打ち出し、福島県だけでなく全国の原発を即廃炉を求めるとしたが、それは福島県人にとり、正直ピンとこない話だし、打ち出したメイン政策<原発被害対策の総見直し(避難者及び帰還者の生活再建支援など)>は、素晴らしい具体策が多く用意されているのだが、大まかな方向性は「避難地域を復興させ県全体を元気にする」という内堀氏の政策と一致してしまい、何が違うのか、という印象を与えてしまった。それは、内堀陣営の周到な戦略がある。同氏の政策を述べたホームページを参照いただきたいが、全く盤石(かつ玉虫色)で間違いのない政策を、具体策のないまま、ざっくりと提示している。それは、詳細を読まない人間にとり、「まぁいいんじゃないの」と思わせるには充分なのだ。
 細かな政策を精査し、投票行動に結びつける、ということ自体が、日本の選挙文化に根付いていないという思想的欠陥が、長いものに巻かれるしかない、小粒に票を入れても仕方ないというマインドを生む温床となっている。本当に残念ながら。
 争点がぼやっとしたまま、一強多弱の構造で選挙が進んでしまう時、旧来の保守・革新という政治哲学すら消え失せ、継続か刷新か、change かno change かの抽象的な二者択一のみが残る。そうなったときに今の日本の群集心理がどう働くか、今回の選挙が如実に示した。投票率は、過去最低だった前回につづく45.85%。日本人はデモクラシーを捨てようとしているのだろうか。組織票から遠く離れて、自分の意見を主体的に投票行動に結びつけてゆく、カルチャーを醸成してゆかないと、この日本は変わらないのではないか、と私は感じた。 
 文句・批判を述べ立てるのは、容易である。教育やアート、言論形成のイベントやディベート大会など、個人が出来ることもたくさんあるだろう。私自身も出来ることをやっていきたいと身につまされる経験であった。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Scroll to top