<自分の加害について考える日>

今日で震災から6年。
今月末には浪江町、飯館村、来月には富岡町の避難指示が解除されます。
福島原発事故は収束したのか。
そんなことありません。
それぞれの町は帰還政策を押し進めるしかないよう、追い込まれているだけ。生まれるのは、帰る人と帰らない人の分断。
高齢者ばかりの町と、離れてゆく若い世代の乖離。
なぜなら線量はまだあるから。
福島では不安を払拭するといいますが、不安=精神的苦痛ではなく、実害です。
線量をなかったことにする、臭いものにフタをする、見なかったことにする、という政府の判断が、町を粉砕している。
そして、大事なのは、その福島からの電気を使い続けてきたのは、僕たち関東の人間であること。僕らも加害の一旦を担ってきた。遠く離れた寒村に臭いものを押し付ける「犠牲のシステム」に加担し、涼しい顔で毎日を過ごしてきたのです。
そんな僕たちにできることはたかが知れている。
しかし、最低限できること・・・この日311は、自分の加害について改めて思いを巡らせたい。
かつて拙作「フタバから遠く離れて」を撮りつつ書いた文章、今も考えは変わらないので、自戒も込めてここで掲載します。
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原発事故は遠い昔の出来事だったかのように、風化が進んでいる。
その中で原発避難民を映した映像は、メディアのここかしこに散見されるが、それはみな「被害者」「かわいそうな人たち」というレッテルを張った描写である。
それを見て「ああ、かわいそうだ」と思うもの
「そんな話題、もう見たくもない」と思うもの
こうした認知の在り方そのものが僕はおかしいと思う。   
その認知全体をひっくり返し、見直したいと思う。
なぜか。
福島第一原発の電力はほぼ100%関東圏に送られて来た。
僕たち東京の人間、都市部の人間が使って来た電気である。
そして、60年代〜日本の高度成長の中、「原子力 未来の明るいエネルギー」(双葉町に架かっている標語アーチ)として原子力のポジティブなイメージを支え、原子力にGOサインを出してきたのは、僕たち日本人全員、日本社会そのものだからである。
元は、原爆と同じ核の毒であり、悪魔に魂を売ったゲーテのファウストのように、その大きなしっぺ返しを受けながら、それが自分達に起因している
ことをどうしても認めたくない。
そんなしっぺ返しの強烈な<痛み>に対し、僕たちは距離を置いて直視を避けている。他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める。
遠く離れることで、それを直接には感じなくなることで、
うやむやに過ぎ去ってゆくものがこの世の中に、たくさんあるということ。
原発避難民は「かわいそう」なだけじゃない。
僕たちもその加害の一端を担っているのだ。
正義の欠如に僕たちも加担しているという不都合な真実。
今の国の態度は、金と権力と歪んだ理屈でムリヤリで黙らせようという前近代的なやり方。(それは、いまの首相にせよ、県知事にせよ、また世界のあらゆる国で見られる市民の弾圧である)
住民説明会では、環境省が中間貯蔵施設の補償を、東電が賠償の窓口とする、という縦割りが徹底され、すべて事務的な補償<金目>の議論に落とし込まれている。
そもそも誰がこのような犠牲を押し付けるのだろう?という問いは、議論されない。
そうすることで、国は責任追及は免れる、
のではなく、「僕たち」が責任を免れている。
巨大な責任回避装置を私たち自体がサポートしている。
他人の痛みを思いやるだけじゃ足りない
自分の加害について思いを馳せる 
それがぬくぬくと電気を使いつづける、悪魔に魂を売り続ける、私たちが感じるべき、ささやかな倫理であると思う。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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