「牧師といのちの崖」  加瀬澤充監督

もはや自分で命を絶つしかないと一度は心に決め、和歌山県南部の断崖絶壁に向かう自殺志願者たちを、一人の牧師が文字通り水際で食い止める。彼らに食事を与え、寝床を与え、さらに働き場所と給料まで与え、再び社会復帰できる心の準備をする猶予をほどこす。しかし、事態はスムーズにいかない。一度死ぬしかないと決めた心の闇と、生き続けようと前を向く強靭さの間には、大きな隔たりがあり、その間を右往左往して、同じ失敗を繰り返してゆく人の弱さに牧師は向き合う。

反省部屋のような一室があり、そこで教会で寝泊まりし、自立を目指す者たちと牧師が一対一で話すのが繰り返される。親との酷い不仲が人生に影を落としている者、逃避願望から無駄遣いを止められない者など、とにかく前を向くというのがこれほど過酷なことなのかと痛感する。

キャメラが人の精神の闇をじっと覗き込む。自分の存在を否定する魂の揺れがじんわり見えてくる。

その時間の持続がとてつもない緊張感で、見る我々は他人事とは思えず、自分の精神の闇を見つめるように、いやもっと言えば、自分も同じような問題を抱えて いると思えてしまう。それぞれの自殺未遂者と時間をかけて向き合った作家の胆力と、人々の言葉を可能な限りカットせずに引用した視点の深み(人の言葉とカットなしに向き合うことの緊張感とモラルが、作品を高めていることは間違いない。)が成し得た到達点だ。

多くの人間は、「死にたい」と思っても口にはしない。しかし、自分を否定したり、生きる意味を見失いそうになる瞬間は誰しもある。だからこそ、人間の弱さがむき出しになった個人の存在が、とても近しく感じられるのだ。

衝撃と言うしかないラスト、あれだけ懸命だった牧師も言葉を失う。作家の意図せぬところで、図らずもこの映画は傑作となってしまった。それはこのラストが「起きてしまった」からであり、作品が人々の生への営みだけでなく、人が他人の命を救おうとすることの不可能性、この世界の暗部を垣間見せてしまったからであった。

 

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Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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