「やまぶき YAMABUKI」 山崎樹一郎監督 2022

Youtubeや配信が全盛、飛ばし見や早送り再生が当たり前になりつつある世界で、
一つ一つのショットの積み重ねと1秒1秒の時間の持続こそが、映画の揺るぎない美しさに辿り着くはずだという確かな価値観に基づいて撮られた反動的傑作だ。映画の隅々に、無駄を削ぎ落とした画面の経済性とはっと胸を打つ光の美しさが同居している。僕たちに、この光を決して見逃してはならないと語りかける画面の緊張こそが、引きつけて離さない映画の力となる。

映画の内容自体は、極めて現代的なものだ。

母国で借金を背負い移民した日本で、第二の人生を採石場で働きつつ見出そうとしている韓国の男性。
どうみても「正義」とは程遠い仕事しかしていない警察官の父(川瀬良太)との二人暮らしに、人生の斜陽をすでに感じ始めている女子高校生。
新安保法制、防衛費の増大、沖縄の米軍基地問題など、暴走する国に嘆息しつつも、片田舎の交差点でサイレントスタンディングを行い、かすかながらの抵抗を試みる地方都市の人々。

彼らの人生が取るに足らない偶然により交錯するのだが、それで人生が前向きに展開することなどなく、むしろ暗雲がさらにどす黒くなってゆく・・・

希望よりもむしろ諦念に満ちた世界で人々はどう生きてゆくのか。

思えば、舞台となった岡山県真庭市・津山市は、八つ墓村の舞台であり、またその小説の元になった「津山三十人殺し」事件が起きた地域。
瀬戸内に面した南部に比べ、山を越えた岡山北部は行き場のない怨念が立ち込めるような大気の澱みを感じる。
そんな風土と現代日本の閉塞感を16ミリフィルムの上で重ねたというべきか・・・この作品には何か映画を越えた禍々しいものが映り込んでしまっているように感じられる。

そんな場所で深い諦念に囚われた人々にとり、やまぶき(賄賂、金の隠語)は何よりも魅惑的に見える。

その魅力に凌駕され我を失うもの…、あくまで耐え凌ぎ抵抗しようとするもの…
かりそめの家族をかろうじて手に入れた韓国の男もこれに翻弄されてしまう。

澱みの中でもがき続ける大人たちを横目に、その名も「やまぶき」という女子高校生は、自らの名が暗示するものにだけは距離をおかねばならぬと直感し、彼女よりもウブでまだ汚れを知らぬであろう同窓の男子高生とともに自転車にまたがり、この田舎町からの脱出を試みるのだった。
二人の滑走を捉えたショットが、大気の禍々しさを切り裂くようで、とてつもなく美しく輝いていた。

映画館の暗闇に身を潜め、神経を集中してこそ見えてくるものがあるはずという映画の美学はかつて世界の常識だったのだが、今や少数派に追いやられる危機に瀕している。その中で「映画は信じるに足るものだ」と呟き、キャメラを回す山崎樹一郎監督を、同じく映画を信じて疑わない作り手として心より賛辞を送りたい。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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