練馬区議会議員の渡辺てる子さんが、拙作へ感想を送ってくださいました。
とても素晴らしいので、ここで掲載したいと思います。てる子さん、ありがとうございます!
舩橋淳
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「過去負う者」を観て 渡辺てる子
これは自分の寛容性が試される、ある意味「怖い」映画です。
正解がない、予定調和で終われない、実に難解で厳しいテーマをあえて選んだ舩橋監督は、観る者に問いかけてくるようです。「あなたならどうしますか?」と。
犯罪者になってしまった場合、(元)犯罪者を家族に持った場合、犯罪被害者になった場合、犯罪被害者が家族にいる場合、(元)犯罪者が自分の生活圏内にいる場合。
特に被害者の立場に立った時、私は、寛容の心でいられるのか、許せるのか。
自分自身が、自分の大事な人が、性被害に合った場合、生命を失わされた場合、私は許せるのでしょうか。その自信は正直ありません。
最近、「インクルーシブな社会実現」が叫ばれています。
性別・国籍・宗教の違いや、障害の有無に関わらず、互いを認め合い、排除せずに共生する社会を指します。多様性を認め合う社会のことです。
しかし、その「社会」に「元受刑者」は含まれるでしょうか。
「犯罪は個人の資質ではなく、社会が生み出すもの」と映画の登場人物が言ったとしても、実際に罪を犯すのは、個々人です。
映画の中でドラマセラピーの上演を観た人が「あなた方は一線を超えた、私たちとは違う人だ」と言うのもわかります。
でも、一線を超えずに済んだ自分は「たまたま」だけだったのかもしれない、たまたま犯罪者にならずに済んだのかもしれないとの思いもよぎります。
そして、一方で元受刑者は、刑を終えても、どこまでも、一生涯、謝り続け、罪を悔いるだけで生きてゆくべきかも疑問なのです。つぐないきれない罪を負ってはいても、元受刑者の人生は続きます。生きてゆくのです。
さらに犯罪被害者の遺族の方々は、失った大事な存在の大きさに嘆き、犯罪加害者が反省しないどころか再犯し、生きて齢を重ねる事に、やり場のない怒りと悲しみを背負いながら生きてゆくのです。
私はこういった「重さ」の現実にこれまで目を背けていた事を自覚せざるを得ませんでした。
ドラマセラピーという状況設定は、元受刑者を取り巻く厳しい現実を浮き彫りにしました。このドラマセラピーを観た人たちは、元受刑者に対し「どうやって信じればいいのか」「自分たちがやった結果で自己責任ではないか」「本当に被害者たちのことを考えたことがあるのか」、自分の住む土地の「資産価値が下がる」と、次々と本音であるがゆえの辛辣な言葉を元受刑者たちに浴びせかけます。
それに耐えられない元受刑者の就労支援団体のスタッフは辞めてゆきます。そして観客はどんどん退出していきます。
それでもあきらめず、元受刑者たちを信じて活動を続けようとするスタッフたちの姿が尊いものに映りますが、美談で終わらせず、スタッフの絶望と挫折感の中でもがく姿がリアルです。きっと数しれぬ信頼への裏切りに合いながら活動を続けているのでしょう。
出演の俳優さんたちも、人の書いた脚本のセリフで演じるのではなく、自分の身体性をもって言葉を発し、実際に苦しんでいるようでした。
俳優さんたちは、どれほどの感情移入と想像力、表現力を必要としたでしょうか。
私は自分の中にある安易なヒューマニズムを問いただされた気がしました。
自分のあり方の根本を突き崩されることを、私はアイデンティティクライシスと捉えていますが、この映画はまさにアイデンティティクライシスを引き起こすパワーを持っています。観る者を単なる観客として存在する事を許しません。
最も問われるのは私自身です。
舩橋監督は、その柔和な表情とは裏腹に、実に「怖い」映画を制作なさいました。
2023年10月27日
こんにちわ。雨宮処凛さんのブログでこちらのサイトを知り、森達也監督のコメントも読みました。「福田村事件」の映画化でエンドロールとパンフレットに名前も載せて頂きました。クラファンのリターンです。映画が好きで、「めぐみへの誓い」野伏翔監督作品でもクラファンをさせて頂き、やはりパンフレットにも名前が載りました。そんな者なので、舩橋監督の次回作でクラファンを募る機会には、是非支援させて頂きたいと思っております。此れからも御体にに気お付けて頑張ってください。応援しております。 TETSURO
2023年10月27日
度々申し訳ありません。dvd,ブルーレイなどのディスク化の予定は来年でしょうか? 御返信を宜しくお願い致します。 TETSURO
2023年10月27日
今劇場公開中でして、お近くの映画館でご覧いただけたら嬉しいです。DVD、ブルーレイかは今のところ予定はありません。