「医学としての水俣病」(土本典昭監督、1975年)を再見して、思わず「不知火海」を見たくなった。当事者達の証言・資料、病理・病像、疫学・臨床など諸々の角度から水俣を掘り下げて、初めて大津さんの言う「オープンな画」としての「不知火海」を見ると、その痛ましい美しさに涙が出てくる。土本・大津の知性に根ざした執念は、高度成長期の日本の本質を貫き通した。現場の被害状況をとことん無視し続ける官僚体制は、根深い罪。土本はこう予言していた「絶望的なのは、水俣病に対してこれだけの被害を起こしてきた国・県とか科学者とか行政が、依然として被害の全貌を認めないことです。この犯罪的な体質が直らない限り、同様の事件が日本に起きた場合はまた同じパターンが繰り返されるんじゃないかという危惧を感じます。」