Bibliothèqueでの吉田喜重 「小津安二郎の反映画」 (岩波書店)文庫版出版を記念してのイベントへお邪魔した。
本著はずいぶんと前に読んだのだが、今回は新版を戴いたので再読。
「東京物語」で笠知衆がない、ない、と探し回る空気枕のまなざしや、小津映画では主人公らが住む平凡な家の外観ショットが欠落しているという指摘は鋭い。特に前者は、複数のまなざし、開かれたまなざしを許容する小津映画の本質を射貫いていると思う。まだ小津映画について偉そうに語る資格などありはしないが、小津の映画言語のアナクロニスムは、どこかでwiseman 映画に通じているなぁ、と日頃から思っていて、それはこの「物の視点」があるからではなかろうか。
物に人が見返される(wisemanの「メイン州、ベルファスト」の鰯缶詰工場を想起すればいい)、人間の非中心化の視点と呼ぼうか。それは黒澤清のホラー描写の冷ややかな実存、ブレッソンの即物性にもどこかで通底してはいまいか。
そんな「物の視点」により、画面内の人物さらに画面を見つめる観客が見返されてこそ映画は開かれ、呼吸する。改めて小津映画に気付かされた形だけど、新作にどうにか導入できまいか、と考えている。