SHARING 篠崎誠監督
映画において、ショットにはそれぞれ全く異なる時間が流れており、所詮“共有した”心理というのは、同じ時空間に所属していない幻想に過ぎないという事実を、ある苛烈な傷みを持って見るものに突きつける映画、それがSHARINGである。
大学という無機質な空間が、突然ぐにゃりと曲がりはじめ、我々が立っている地面がぐらぐらと地殻変動を始める。映画を見る視線とは、どれだけ見えないフィクションの前提の上に立脚しているのか、篠崎監督は1ショットごとに暴いてみせる。過去なのか、現在なのか、未来なのか、ショットごとに時空を飛び越えるという、こんな画面の緊張を私は見たことが無い。我々は、果たしてこの映画が終わった時、ここに立っていられるのだろうか、見るものの意識の層を一枚一枚めくりとられ、その末に我々は何を見るのだろう。
それは世界の行く末、といっても言い過ぎではないラストが待っている。
恐るべきサイコサスペンスの誕生である。