2015年安倍政権が安保法案を成立させていった過程で、SEALDsの学生たちはどんな声をあげ、何をしたのか。彼らの信頼を得、密着して撮影したこの作品は、彼らの圧倒的な熱量をあますことなく伝える。
保守・革新、右派・左派など学生運動が集団としてみなされた60年安保に比べ、60数年後の現代の学生は、自分たちの顔と名前をさらけ出し、「個人として」安保法制に反対する。煮えたぎる怒りと熱情がこちらにびんびんと伝わってくるばかりでなく、その主体のあり方の変化がすばらしい。「みな個人として、こんな国はいやだ!変えたいと思って、自然と集まっている(牛田くん)」ゆるやかな個人の繋がりが、パワフルなのだ。
まさしくそこに主体的な民主主義がある。ひとりひとり個人主体の政治意識=「わたしの自由」と、ゆるやかな団結(この言葉も古いけど)が次の世代の子どもたち、若者たちにかっこいいと思われるに足る、濃密な思考のうねりを産み出した。
映画としてよくできている。反対意見や対立軸を示しきれていないという批判はこの映画にはあたらないだろう。なぜなら、SEALDsという小さな(しかし熱い!)窓からこの日本社会がどう見えているかを照射すること、そして主人公であるかれら学生たちの怒り、涙、笑い、焦燥、迷いなど、豊かな時間を一緒に経験させてくれる青春物語を描ききること、この二点において成功している本作は、一つの凝縮した世界観を指し示す映画として成立しているからだ。165分という長さがあっという間に感じられるのは、若者たちの血肉に見る僕たちが一体化してしまい、時間を忘れてしまうからに他ならない。
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