「沈黙ーサイレンスー」 2017 原作:遠藤周作
内心の自由とはなにか、強く問いかける作品。
信仰とは本質的に、内的なものであり、他人に伝播し得ないもの。
だからこそ、それを布教しようとしたときに様々な矛盾と問題、対立が起きる。
ポルトガルによる布教、その権力と結びついた日本への布教作戦をとくと見せられるのだろう、と高を括っていると、実は信仰=FAITH の本質とは何か、それは自分の為のものか、もしくは他者のためのものか、社会のためのものか。ヨーロッパと全く文化・風土も異なり、土着的な八百万の自然神信仰が根付く日本という国に、ヨーロッパ本位の思想を押し付けても意味があるのか?遠藤周作の原作を映像でさらに補強し、その矛盾と不条理をえぐり出す強烈な作品となっていた。
Casino以降よく見られる、「その描写はいるのか?」と思えるディテールは相変わらずあって、それが長尺を生んでいるのだが、塚本晋也やLiam Neeson、イッセー尾形、浅野忠信の圧倒的な熱演でテンションが持続しており、「見れてしまう」のが作品の完成度を語る。特にLiam Neeson 演じる棄教した神父の暗いプレゼンス、悪魔的な語り口が素晴らしく、もちろん日本に帰化したという雰囲気はあまり感じられないという不満はあるものの、<沈黙>の裏=娑婆にいきる人の苦悩を体現し、イッセー尾形(彼もすごかった!)映画の後半を支えきっている点は素晴らしいといえまいか。
世界規模で他者への寛容、内心の自由が脅かされている今の時代に見る意義のある作品である。