誰もがもうどうにもならぬと嘆息とともに諦めてしまう人生の袋小路を、敢えて切り拓くことはできまいか。いや、むしろ切り拓けないかもしれぬが、それを百も承知で勝負に出るのか、やむなく逃亡を選び、臍を噛んで生きてゆくのか、そんな究極の選択にまずは真剣に向き合ってみる。
文字通り「陽の当たらぬ人生」を余儀なくされてきたイタリア山岳部に住むある一つの家族が、不可能とも思える「壁」を打ち砕くことに挑む覚悟を固めてゆく――理由は分からぬ。さっさと移住すればいいのに、なぜその土地に拘り、へばりつこうとするのか。彼らの決死のアクションが、理屈よりも感情として見るものを納得させてゆく。
作家A. ナデリ自身も指摘するように、イタリアという風土で石を砕くのは、彫刻を連想せざるを得ない。ミケランジェロが人生を賭け、石に命を吹き込んだように、岩を砕くことに全てを賭す男たちが崇高に見えてくる。
陽の当たらぬ影で、真っ黒な男たちの苦悶が、銀残し的な黒々しく、禍々しい時間としてフィルムに刻まれる。あまりにもシンプル、あまりにも力強い、からこそ、「山のような強大な壁を打ち砕く」という暗喩が現代的な意味を持ち、僕たちの心を深く抉る。
山があげる苦悶の雄叫びのような、風と大気の音響=サウンドデザインが本当にすばらしかった。