大正末期だろうか、ある清流の畔で商売をする“渡し”に寄りつく幾多の人間模様を船頭・柄本明の目線から描く。
マタギや、花魁、芸者、チンドン屋など最下層の人間から、同時代の富裕層、医者、近くの町に建てられている壮大な架橋プロジェクトの労働者たちまで様々な人間が、川を舟で渡るという、いかにも映画的なアクションの中で浮かび上がる。諸行無常の人の業。それを見る中で、本当の幸福とはなんだろうか、という問いかけが浮上してくる。
近くの部落でおこったという虐殺事件から逃げ延びた少女をかくまう船頭。
何も人に誇れる人生を送ってきてはいないという後ろめたさがありつつも、一宿一飯を与えてやったことから、少女は船頭の家に居着くようになる。その新たな生活の中で、船頭が人生で何を捨て去ってきたのか、が暗示されてゆく。
穿った見方なのかもしれないが、監督オダギリジョーと撮影監督クリストファー・ドイルの信頼関係が、画面に乗り移っているように感じられた。
その美しさの緻密さ、極端にふれるセンセーション、流麗な川のショットとともに美学的にシンクロしている。
渡しにちょくちょく顏を出すマタギ(?)永瀬正敏の安定ぶり、その父親の細野晴臣がとにかく素晴らしかった。
オダギリジョーは、演出家としての資質は絶対あるだろうと思っていてけれど、驚くほど素晴らしい作品を撮り上げたと思う。