暗い闇に覆われた映画館に集いスクリーンを見つめることが、こんなにも貴重に感じる事態に陥るなんて思いもしなかった。
ミニシアターという場所は、映画人としての自分を育ててくれた。
高校時代、友人の誘いで今はなき西梅田の大毎地下劇場で、800円で2本立て、500円で3本立て(パイプ椅子!)のシネフィル一色の番組編成にハマり、そこでサミュエル・フラーを発見した。
東京の学生時代、映写光でタバコの煙がゆらぐあの狭い並木座で1930−1950年代日本映画の黄金時代を浴びるように見て、黒澤より成瀬・小津が自分はいいなぁと思うようになった。
ニューヨークで映画を学び、処女作をイースト・ヴィレッジで撮った時、ミニシアターの世界的父といってもいいジョナス・メカスに気に入ってもらい、彼のアンソロジー・フィルムアーカイブで初めて上映してもらった。26歳だった。
そして、翌年ずっと憧れしかなかった渋谷ユーロスペース(桜丘にあったときだ)でその処女作を劇場公開していただいた。日本での初めての商業公開だった。全く無名の映画作家の白黒16mm(プリントは1本だけだった)を掛けて戴いたご恩は一生忘れることない。
時を経て311の後、ドキュメンタリー「フタバから遠く離れて」でポレポレ東中野、名古屋シネマテーク、大阪第七藝術劇場、横浜ジャック&ベティ、フォーラム福島、松本CINEMAセレクト、京都立誠シネマ、福井メトロ劇場など多くの小屋で掛けていただき、全国のミニシアターを訪れた。零細経営ながら、地方の映画文化の発火点として、その熱を地域に波及させる姿に何度も心を打たれ、また戻ってきたいと感じた。
中でもフォーラム福島には何度もイベントを開いていただいた。原発事故で気持ちの余裕がなくなってしまった人々が、映画館にきて束の間の非日常を味わい、自分のルーツやアイデンティティを取り戻す貴重な時間になっているのだ、と回を重ねるごとに痛感した。
映画の多様な文化は、僕たちの生命維持のために必要不可欠だと思う。
それを支え続けるミニシアターは、絶対なくしてはならない。
SAVE the CINEMA とMini Theater Aid心より応援します。
舩橋淳
(映画作家「フタバから遠く離れて」「ポルトの恋人たち 時の記憶」「ささいなこだわり」など)
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