「これが最後の…と呟くオルミを前に、我々は戸惑うばかりだ」

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Elmanno Olmi “Centochiodi”  2008 94 min

世の中には齢100歳を通り越していかにも快活に毎年一本のペースで撮り続ける作家もいる一方、この作品をもって映画への出演を最後にしたいという元カウボーイのアメリカ人がいたり、また今回をもって最後のフィクション映画としたいと呟くイタリア人監督がいたりする。世界の方々で「これが最後の・・・」と呟くシネアストたちが、覚悟を決めてキャメラの前にまたは後ろに立つという状況が巻き起こっているというのは、どういうことなのだろうか。自らの作家活動を振り返り、その歩いてきた道程とこれから歩むべきさらなる一歩を見渡し、「次が最後の・・・」という洞察と覚悟に行き着く作家の思惑について、筆者の拙い想像力など遠く及ばないと思うのだが、それでも、この作家の言葉が試写のスクリーンに向かう我々の瞳を否が応にも緊張させると言わねばならない。

エルマンノ・オルミの新作であり、曰く「最後の劇映画作品」であるという「ポー川のひかり」は、その名も「キリストさん」と呼ばれる大学教授が、金は捨てないが名誉も職も捨てて、ポー川のほとりの古代の石造りの家に住み着き、近くの集落のコミュニティに溶け込んでゆくというアレゴリカルな現代劇である。おそらく先祖の時代からポー川流域をずっと「不法占拠」してきた住民たちは、年寄りばかりで仕事もなく、濁った瞳と無駄に太った身体をもてあましているという風だ。彼らの中に、一人の部外者であるハンサムな「キリストさん」が少しずつ溶け込み、ご都合主義極まりないのに、あくまでごく自然の振る舞いのように、年寄りたちが無言の協力体制を布き彼の家を修繕してゆく様は、宗教的な理想郷と言うよりも、西部劇そのものであるし、Fを頭文字とする大監督の名前を口にしたくもなる。しかし、ことは「最後の劇映画」であるというからには、やたらに他人と比較してみることは禁じるべきだろう。

画面は悉く、素晴らしい光をとらえている。DAY FOR NIGHTだか、昼だか分からないような川辺の時間は魅力的だし、甲板でダンスする人々を載せたフェリーが、川をなめらかに横滑りしてゆく様を岸から捉えたショットなどははっと息を呑んでしまう。集落の人々が終始躊躇いがちに、稟議のテーブルを囲んでいる様には異様な興奮を覚えた。特に「キリストさんは悪いことはしない」と呟く、巨体の老人の半開きの口の存在感は、画面から殆どはみ出しており、反則すれすれである。さらに、いったん警察に身柄を拘束された「キリストさん」が保釈され、集落に戻ってくるという噂が人々の間で囁かれ、夕刻、道の両側にろうそくの炎が並べ立てられ、皆が今か今かと期待を高めて待つときの、あの炎の道のショットには思わず涙を禁じ得ない。それはショットとショットの蓄積によって形作られる説話空間の映像的、即物的な期待が、見事に一点集中を見せるという充実の瞬間であり、ヒロインの女性(決して美人ではない彼女も変な魅力があり、おもしろい!)が涙する前に我々が涙せずにはいられないという、希有な体験でもあった。しかし、こんな脳軟化を誘うような至福感に浸っていても良いのだろうか、と思わずにはおれないある種の閉塞感がこの作品を覆っている。それは「これが最後の・・・」と呟く作家オルミの選択・限定の意志なのかも知れないし、映画が映画であろうとする時不可避に訪れる反=時代性なのかもしれない。

坂本龍一がどこかの取材で「スポーツ選手が観客に元気を与えたい、っていうのを聞いて、不遜じゃないの?って思うんです。」と言っていた。全く同感で、映画についても「元気をもらった」という、いかにもさもしい表現が最近市民権を得たように人口に膾炙している現象には本当に辟易させられるのだが、「キリストさん」が集落の人々に残した言葉「幸せとは、外部から与えられるものではない。みんなで作りあげるものなのだ」は、そう言った意味で今日的であると言える。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

1 Comment

  1. 和久本綾
    2009年7月30日

    あっちゃん、郡家の行成綾です。もう20年近く会ってないかもね。お元気そうで、また、ご活躍で、うれしいです。
    お母さんから聞いているかも。私は家族で文京グリーンコートに住んでいます(知ってるかしら)博子もよく遊びに来ます。
    いつか会えるといいね。アメリカ暮らしの長いあっちゃんには意外かもしれませんが、田舎の人間が、東京で暮らしていくのは、なかなかしんどい。
    では。

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