PRODUCTION NOTE
江戸の心意気を残した下町・谷中
職人たちが住む小さな路地
東京都台東区の西北端に位置する一地区。上野と本郷の台地の谷間に位置することがその名の由来とされる。生姜の生産地として有名な農村であったが、江戸時代幕府の政策で多くの寺院が神田から移転し、最盛期には100ほどの寺院が肩を寄せ合う寺町が形成された。感応寺(今の天王寺)の富くじ(宝くじ)が行楽客を呼び込み、歓楽街や根津の遊郭が栄えた下町であった。関東大震災や太平洋戦争での被害が少なく、現代も長屋づくりの家々が見られる。古今亭志ん生や立川談志ら噺家にもこよなく愛され、狭い路地にはたくさんの植木が並べられている。江戸の心意気を残した場所だ。町の中心には、徳川慶喜、長谷川一夫、横山大観などの著名人も眠る谷中霊園があり、その周りには墓石屋、茶屋、彫金、鼈甲細工など伝統工芸職人の工房が軒を連ねている。